仕事は違うけど・・

今日は友人の事を書きたいと思います、友人と言っても僕よりも年が上ですがいつも
困っている時に助けてくれる大切な友人です。
Oさんは自分達でログハウスを手作りし鶏を飼い卵を売り、無農薬や有機栽培の農業を
奥さんと二人で始め、温室によるイチゴ栽培や体験民宿、消費者と直接販売をするなど
積極的に新しい農業を20年以上前から取り組んできた人です。
また農業以外でも自宅脇に工場を作り鉄工所や機械修理店としても活躍していました。

我があーすの薪を並べる台やトラクターや水中ポンプ等のエンジンの修理を本当に毎回
またか~と言いつつ良く直してくれました。
働くことを生きがいとし、良いものを人々に届けたい、顔の見える仕事をしたい、と
自分のする仕事に信念とプライドをもっている人です。

そんなOさんと震災後も何度か電話では今後の事について話したりしていましたが、
久しく連絡をしていなかったのでしばらくぶりに近くまで行ったので訪ねてみました。

Oさんは悩んで悩んで今までのような元気がありませんでした。
理由は簡単です、南相馬市は去年から米作りが出来ず、今年来年と米作りが出来ず、イチゴ
も野菜も不安があり作れない・・今後をどうするかと。Oさんの家の倉庫の軒下には沢山
の顧客からの励ましの言葉が書いてあるハンカチがいっぱいいっぱい!ぶら下がっています!
Oさんはもうすぐ60歳農業をあきらめるべきかハンカチに込められた想いにこたえるか
毎日自問自答しているのです。
南相馬を離れ安心して農業ができる地域に移る決意をし昨年下見や行政とも話をし何度も
足を運び気持ちの半分以上はかたまっています。
しかしそこには様々なハードルがあるのです。農業には様々な機械や道具がいる、体一つ
で行きできるモノとはとは違う、土づくりから始めなければならない・・それには労力や
時間、そしてお金がかかると・・・
東電は仕事をうばっておきながら物の補償は金で解決しようとし仕事を返してはくれない!
出来ない仕事や生きがいを求め新天地に移る際の費用は補償しない・・全ては自腹でしなけれ
ばならい、その決断が出来ないのです。全く僕の悩みと同じなのです・・
自分の事が必要だと言ってくれる人達がいる事は何よりもうれしい!しかし相手に不安や
安心感が与えられないところでの仕事は出来ない、何もしないで自分だけがとりあえず
生活を何とかしていこうと云う生き方はOさんにも無いのです。
もうすぐ種まきの時期になります決断に迫られているのです・・
もう少し若ければ迷わず進めるのにと・・悔しいと言っていました。
同じ気持ちです・・本当に悔しく辛いです。

Oさんは言っていました、今何も考えず野菜を作り、田の土を入れ替えできるようになるまで
待つという人がいる、放射性物質はまだ出ていて雨や埃などでやってくる!田んぼの水は
山からやってくる、山の除染が出来ないうちは意味がないだろう・・山のおいしい水が
おいしい米をを育てる、はげ山にしたらおいしい水は出ない山の除染は20年自分は生きて
いないよ・・
ともにかたちは違うけど命にかかわる仕事をしている者、ともに信念をつらぬこう!と
話をしました。

東電や国は物だけでない、生きがいというかけがえのないものを奪った!
という事もっと真剣に考えて欲しい!と思います。