Articles from 1月 2012



激しい攻防

原発事故から10カ月その間県や市東電との様々なやり取りがありました。
もちろん未だに解決進歩はほとんどしていません。

去年の3月原発事故後屋内退避期間、及び多くの人達が避難所に集まりお風呂屋布団が無く、
障がい児達が避難所で中々生活が難しいと情報が各地で出ている際県や市に電話を入れ我が
あーすは電気もガスも使えます。お風呂も一度に十人は入れます!バスで迎えに行くことも
出来るし、子供達を見る職員もいます!食料もあります!一時的に福祉避難所にどうですか?
の問いに返事は無し。
市にも議員を通じて同じ話をしましたが、手が回らないから自分達でやってくれ!みたいな感じ
でした。

4月あーす再開とともに自前ガイガーカウンターでの放射線値の話に県や市は耳をかさず国の
基準より低いから大丈夫だの一言。市役所にはガイガーカウンターは無く自衛隊の連絡待ち。
挙句の果てには我が機械を貸せだの入手の言い訳等をはじめる。
海外からの情報を入手し危険性等を訴えるが国や県は数値が低いから大丈夫、今のところ特別
支援策はないですとの事。
空気や水、土壌が危険だから移転したい仮設住宅で行いたいと申し出でるが返事なし。

5月毎日のように空間線量を報告し、対策や移転費用の肩代わり等を交渉するが県や市は返事なし
小佐古氏が自身のプライドをかけ辞任し、涙ながらに訴え、入手した海外の情報と当てはめ
自分の子供達の命に対する考えは間違ってない!と確信し保護者会を開き末に休園、その
最終日に原発内で爆発騒ぎで作業員は全員避難させられるも、南相馬や相馬、県には連絡無し
プロパンを機会が踏んだだけだから!?原発内で起きた事故は速やかに報告します、嘘ばっかり!
の国や東電、そして怠慢化した市。
最終日に市から連絡訪問あり休園しないで営業してください、国や県の数値より低いんだから
大丈夫ですよ。

6月国や県はいきなり年間1ミリを目指す発言!いったいなんだったの?いい加減にしろと
電話する。仮設住宅街もしくは除染が早い学校内に移動したいと再度もうしでするも話にならず。
子供達の夏休み等の活動を考え、福島キッズの実行委委員になり、県や市に資金援助など協力
等のお伺いするがまったく話にならず。県は県外に連れて行く事は県民が他県への流失に
つながるとか言い予算を出さず。その後新聞やマスコミが騒ぎ県はあわてて予算を作り、県内
に移動に限りお金をだすとそして旅行業者に多額のお金を払う。

7月8月福島県の障がい児を引率して北海道に行き、南相馬市からも多数の子供たちが参加、
市議会議員、県議会議員に北海道での開所式に参加して欲しいと話すも難しいで終わり。
ホットスポット等が話題になり段々国や県、市は質問しても以前のようには答えなくなった。

10月11月自主避難者や事業所に関しても保証が出るようになり、東電に移転及び除染を早急に
と毎週電話や呼び出しにて交渉するも明確な返事なし。

12月市は仮設への移転は無理との答え。そして移転費用及び除染活動の補助は県及び国の判断
で行う。市にはお金はありませんとの答え。
早々地域及び南相馬市で音楽による支援を再度訴えるが関心なし!
最終的にはお金がないの一言!いい加減にしてほしい。
東電担当者と年内最後の話し合い全然進歩せず、相変わらず上から目線で後払い、因果関係、
理由書を下さいとの事!原発以外何物でもないだろう!とどなってしまった。
井戸水から10ベクレル検出息子からセシウム、未だ空間線量高しは認める。
しかし保証に関しては相変わらず返答なし。

1月東電に早々に年内の返事を要求!そして先週ニュースでマキストーブの灰から高濃度の放射性
物質の情報、想像はしていましたが念の為に調べてもらうと何と!想像以上の18万6千ベクレル!
県、市のどちらの議員に報告するとあっさり仕方ないね、でるでしょう~の一言。
東電に強く発言するも何も無く個人で勝手にしてくれみたいな感じ、しょせん市民の代表で無く
自分が政治家もどきになりたいのがバレバレの発言でがっかりです。
ひどい仕打ちです。二本松よりも高いのに心配する様子もなくさっさと電話を切る始末俺は
県民でも市民でもないのかと思ってしまいました。今日まで県からも市からも何の連絡はあり
ません。灰をまき散らしてもいいの?行政はなんと考えているのかわかりません。

そして今日の日中ダメ押しの携帯への着信、見慣れぬ電話出てみると東電の連絡係の女性、
会話と同時に一応はマニュアル通り謝罪はするもマニュアルを読んでいるのがバレバレのどもり
や会話の噛み具合!そして同意書はご覧になりましたか?
はぁ?見てません、届いてません!質問状の答えが返ってこない限り同意はできません等を
伝えると来週また電話しますとの事、最後までどもり噛みまくり、東電の社員でなく
人材派遣なのが見え見えでバカにするなと電話を切ってから言いました。

来月も同じような事で労力及び心労があるかと思うとうんざりです。

 

始めない理由

最近よく聞かれる。いつ再開するのですか?
何で再開しないのですが?

それにはこう答えています。

今あーすの空間線量は平均1μ㏜風向きにより1.5μ㏜位まで普通に上がります。それ以上の
時もあります。
また井戸水からはセシウムが10ベクレル民間の検査で検出されました。
中庭のあちこちからは雨樋からの影響を受け高い放射線値を出しています。

我があーすは山に囲まれた場所にありホットスポットも直線距離で1キロ位の所にあり
利用者の住む原町、鹿島、相馬、新地の町よりも空間線量が常に高いのです。
郡山の様に市全体が高いかもしくは利用者の住まいと僕の所が同じ線量なら間違いなく
すぐにでも再開しますと・・
ある利用者のお母さんは理解が難しい子供にマスクや外で遊べない理由を外には
毒があるからと教えたそうです。
その毒が薄い所から濃い所に連れてくるのはありえないでしょう?と話しています。

昨年12月に市役所申し込みによる内部被ばく測定を僕、高2息子、義妹の3人で
私立病院でうけました。

息子は3月は埼玉県に4月は宮城県鳴子、5月から高校が相馬市で始まる事により
南相馬に戻り義妹宅で生活を今現在もしています。毎日マスクをし6月から相馬でクラブ
活動サッカーをしていた。
義妹は一度も避難する事無く屋内退避時には鹿島区の実家に住み今現在も南相馬市で
工場の総務で勤務。

自分3月埼玉に避難、3月中3度南相馬に戻り、4月から鹿島区上栃窪のあーすにて生活。
6月いっぱいは鹿島にて生活7月から9月仕事で北海道、10月から11月新潟県及び東京。
その間たびたび鹿島に戻り生活や施設の維持管理の為草刈りや木を切ったりしていた。

簡単な生活歴です。
結果は想像どおりでした。

息子 Cs134 345ベクレル Cs137 356ベクレル   預託実行線量 0.032μ㏜

義妹 Cs134 261ベクレル Cs137 検出されず  預託実行線量 0.042μ㏜

僕 今回の測定では放射性物質は全て検出されず。

どうですか?このような結果がでました。残念です・・想像していた予想通りです。
数字が一番高いのが一番若いのです。
息子は自分で言っていました。俺はクラブでサッカーをしていたからだと思う。
同じ友達も親より子供の方が数字が高い!と話していました。

息子は相馬市でサテライトで学校に通い学校がクラブ活動を再開する事になり
参加しました。毎日今現在もマスクをし生活をしています。
学校を責めるつもりもありません。
ただみんなに知ってもらいたい、相馬も安全でないという事、数字が許容範囲だから
平気だではなく相馬でもしっかりでているという事を。

この問題と同じことがあーすを今再開したら、子供達から出る可能性が間違いなく
あるという事です。
一緒に生活暮らしている親からはでず、学校やあーすに通っている子供から検出されたら
どうですか?

僕にはできません。

報告書には何気なくこんな文章が書いてあります。

今後の生活で内部被曝を減らすよう、食事や水分摂取は留意が必要です。

ありえない事です。

ある市議会議員は言いました、数字が低いから大丈夫、相馬での学校生活は関係ないん
じゃないの?クラブ活動が関係してたら相馬の子供達からは全部検出されるよね?

僕は言いました、飯舘、郡山、栃木、千葉でも仙台でも植物から出てるだろ!
よく考えればわかるでしょう!セシウムは土や埃地面にある!
空気中に漂ってるものでない!
今すぐ子供達は優先に全員調査するべきだ!

なんとも思っていません。役人は・・駄目です。

二本松マンション問題にしてもすべてそうです。

今日の新聞で川内村が帰還に向け飲料水の基準を国の1キロ当たり200ベクレルを10ベクレル
まで厳しくすると書いてありました。もう我が井戸水は10ベクレルです。
まだ厳しくなると思っています。外国ではまだまだ基準は厳しいのです。

わが井戸水はまだまだ汚染されるでしょう・・

ますます内部被曝に関する事は問題になると思います。
国や県、市はその都度ごまかし責任逃れを言うでしょう。

物はお金で解決できるでしょう。

健康、命はお金では解決できないでしょう!まだまだ国や東電や県や市が安全や命を
守るとそして責任をすべて認めない限りは安心して再開は出来ないと思っています。

4号機は平気なのか?

最近、関東及び東北で又放射線値があがっている。

なぜなのか?国や東電は終息宣言をし、安全をよそおっているが何かを隠している!
と思いませんか?

今たくさんの学者や外国の多くは4号機が大変危険だ!崩壊で半径250キロ
もし爆発したら700㌔圏は立ち入り禁止区域になると言っています。
250㌔は700㌔?関東及び北陸、東北は全部だめでしょう・・・

その可能性は0だと思いますか?僕は思いません・・
本当は0であって欲しい。でも現実は難しいでしょう。
そして震災直後からの国の対応等を見ているともう手が付けられないのではと思わずには
いられません。
今4号機は1535本の燃料棒が保管され、燃料プールが建屋の4~5階の高所にあり
余震が起これば倒壊、崩壊の危険がある。
と言われています。

今まで様々な事を隠し隠ぺいしてきた政府、放射性物質や農作物は大丈夫と言っていた
政府の言う事は何一つ信じられない。

今日本人の多くは終息宣言とマスコミに操作され騙されている状態。最近の地震でも
慣れてしまったのか何とも思わず、昨日の震度3~4でも平気な顔。
いつもよりちょっと揺れたな~位の感覚。

みんな全然4号機は気にせず平気な顔、大丈夫なの本当に?

みんなもっと危険意識を持とう!今現在も原発は動いている!
時限爆弾のタイマーは動いているんですよ!

もっと国民一人一人が危機感と危険意識を持ち、政府や東電に対し本当の情報公開を
訴えよう!

 

こんな専門家の意見もあります。
http://takedanet.com/2012/01/post_4e36.html
http://blogs.yahoo.co.jp/konan119269/33184069.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ht_sue/29022207.html

こんなのも見つけました。どうなんでしょうかね?
http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/22222381.html

想いは同じ

去年の事だがベルギーから映画監督のアランさんが南相馬市にやってきた。

福島の子供達が放射能の影響下でもどれだけ負けずに生活しているのかを世界に向けて
発信するドキュメンタリー映画を撮りたいということで、その撮影の準備のために
来日し、南相馬市には1週間弱の滞在となったのですが、縁あって僕が南相馬市内を
案内することとなりました。

来日前からスカイプを使って、ネット上で話を何度かして、かなり気さくで
気の合いそうな人だとは思っていました。

実際に会ってみると面白いほどに気が合い、考え方の会う素敵な人でした。

木や森が大好きで歴史や文化を大切にする、そんな人でした。
アランさんは、今の福島の子供達と自然歴史ある野馬追の文化、温かい人付き合いなど
南相馬にある大切なものが原発事故により失われてしまうのではと心配していました。
日本人は勤勉で我慢強い。その日本人が自然災害と原発事故を前にどう立ち向かって
行くのか自分の子供の事のように見守ってくれているようでした。

彼はチェルノブイリの事故の後、現地に入り、実際にそこでどんな事が起きたのか
ドキュメンタリーの映画を作っています。
放射能については普通の日本人よりも詳しい存在であるのは間違いないと思います。
現地を見てきた人だからこそ言える、放射能に対するいろんなアドバイスを僕に
くれました。

そして、本来ならば避難するべきである南相馬市の現状と、避難したくてもできない
子供達の現状を理解した上で、汚染地でも子供達が逞しく生きれるような提案、
子供達の笑顔を取り戻すための取り組みを僕と一緒になって、何時間も何日も
話したような気がします。

僕も福島県の子供達は避難するべきだと思っています。
だけど、それが出来ない事情もよくわかっています。
だからこそ、夏休みや冬休みを利用して放射線量の低い土地への合宿につれて行って
伸び伸びと遊ばせたいとも思っていますし、少しでも健康リスクを回避できるような
取り組みも行っていきたいと思っています。

遠く離れたところに住む、会ったばかりの友達ではあるが、想っていることは
まるで同じだったことにびっくりしたのと同時に、僕の考えていることは
間違いではなかったんだという確信を得ました。

本当に本当に不思議な縁・出会いでした。

今回は撮影準備という事で短い期間の滞在でしたが、今春には撮影の為に福島に
やってきます。
その時にもまた、同じ想いの友と尽きぬ話に花を咲かせられたらと願っています。

地平線会議

去年の話ですが、高田馬場に行ってきた。地平線会議たる団体の講演会に招待されたの
でした。

地平線会議とは環境と冒険を支援する会議で月に一回の定期報告会とウエブでの読者に
よる生業で活動をしている。

今回僕が呼ばれていったのは東日本大震災及び原発事故時の事と今の南相馬の現状を
伝えに言ったのである。

新宿区スポーツセンターの会議室で行われた今回の報告会では、30人ぐらいの
ギャラリーがいて、その前で南相馬市のいろいろな写真を見せた。
僕の他にバイクと犬を愛するフリーライターのTYさんとチェルノブイリのその後を追う
ジャーナリストのTJさんが登壇して3人で南相馬市や放射線の問題について
4時間話をした。

その後、場所を変えて食事会となった。
食事会には様々な面白い人や凄い人がやってきた。
特に縁をまたまた感じたのはKさんという僕が昔愛読していた本の著者をやっていた方にも
会えた事です。
この人の本を18歳の頃読みバイクで日本一周するきっかけを与えてくれた人です。
本や雑誌を通じてしか知らない、本人に会えた事は凄くうれしかったです。

しかしKさんの話がまた面白くただでは終わらないのです。
ギネス記録を持っているのですが、それは1年間に入った日本にある温泉の数で、
なんと3000回を楽に超えるそうです。
一日に平均すると最低10件は入らないといけない計算です。
ギネスに至るまでのドラマも大変面白いものがありました。

ある人が真剣な顔をして質問しました。「今までで一番記憶に残る温泉はどこですか?
どんなお風呂でしたか?」
kさんは考えに困っていましたが、突然口を開いて答えました!
その答えにみんな大爆笑です。
「混浴が一番良かった~」と!出てくる温泉は皆、混浴話!
飾り気のない格好のKさんの話は本当に飾り気の無い人柄を現す内容で大盛り上がりでした!

地平線会議には様々な人達が夢や物語やドラマを自分達で作り実践している人達が
沢山います。
そこに集まり集う人達は皆飾り気のない真の一流の人達ばかりです!

去年の今頃・・・

早いもので去年の1月9日に新あーす社屋の開所式を吹雪舞う中楽しくおこなったが
嘘の様です。
自慢の職員や理事、友人や利用者や保護者が大勢集まり寒い中餅つきをし、友人がお祝い
に太鼓の演奏をしてくれました。この日の為に東京や神奈川からツリーの友人が来てく
れたりもしました。
とても楽しくてそしてうれしくて僕も職員子供達もみんな期待と希望にワクワクしていま
した。今のこんな悲しい現実になるなんて誰も想像していませんでした。
あの大震災でもビクともせず水も電気もガスもすべて使えて本当に何でもなかったのに・・

目に見えない放射性物質の被害さえ無ければ・・今も悔しくてしょうがない。

山に囲まれ広い建物広い敷地、空はとてもきれいで青く、里山のツリーハウスや森林浴
畑や鶏や動物とのふれあいがある、素晴らしい施設だったのに・・・
5か月間しか子供達と使えなかった。

まだ今後は分からない。一日でも早く落ち着いて再開したい。

子供達の笑い声がなつかしいです。

 

 

 

 

マルモのおきて

恥ずかしながら、あの話題のドラマを見たことがなかったのですが、体調不良の為テレビ
を見る機会が出来たのです。
今までこんなにのんびりしたお正月をむかえた事がなかったので、しっかりと見ることにした。

そして、何故このドラマが大ヒットしたのがよくわかった。

今の現代には無い義理や人情があふれている。現代の子供や大人には無い純粋で素直な
心があふれている。

人間関係や社会を本当に考えさせてくれるドラマだと思う。

父母がいない事はかわいそうなのか?親がいない子供は不幸なのか?

血のつながりのない子供を友人がみる、そんな人情が有ってもいいじゃないか?と
思える良い番組だと本当におもう。

家族って何か?人情って?愛情って?かわいそうって?

笑いあり涙ありのこのドラマを見ていると心がほのぼのとしてくる。

辰年始動開始!

新年あけましておめでとうございます。皆様におかれましてはどのように激動の昨年
を過ごしましたか?

僕は何年かぶりに12月の中旬から喉をやられ年末には喉がパンパン
に腫れ苦しみ病院にかかってしまいました・・・参った参った。

早いもので9カ月間はあっという間に過ぎ何をどうしてきたかわからないくらいの充実感
のなさ、だらだらとした日々を過ごしてきた証拠だと思っています。

もう少しであの大震災、原発事故から一年がたってしまう。地域は復興に向け始動開始
したかもしれない、でも人々はまだまだ・・僕も再出発の方向がいまだに決まらない一人
です。

春に向け何とかスタートきりたい!
今一生懸命考えています。
もう少しお待ちください。

龍に乗り早く高く進めるよう準備しています!