Articles from 9月 2011



思わず笑いが・・

今日新潟に打ち合わせに出かけ日帰りで帰ってきました。
日帰りだったので鹿島到着時間は20時ころになるなーと思いつつ帰ってきました。

途中飯舘村を抜けて帰るようになるのですが、飯舘村は放射線値も高くまた全村が基本
非難している所なので夜間の警察による見回りが多くものも、暗くなると警察車両の
赤色灯がとても嫌な感じに光って見えます。

飯舘村か峠を降りる際に携帯の電波が届かず通信不能になる為、また走行しながらの
携帯使用は違反になる為途中で車を停めちゃんと道路脇の停車スペースで会話をしてい
ました。

すると、突然僕の車の背後に赤色灯が!!
まぁ僕には関係ないね、と会話を続けていると、「こんばんわ」と窓の外で話しかけて
来る人がいるじゃないですか!なぜに?

ちゃんと路肩に止め電話しているだけなのに・・電話中ですと答えました。

すると警官はニコニコしながらこう答えました。
今全村避難で夜間巡回中です、事件事故も出ています。停車中だったので確認でした。
すいません気を付けてくださいと。

そこですぐ出発すればよいものの会話がはずんでいたので無視して続けていたのです。
すると後ろの車から別の二人も降りてきました。僕の車を見ています。
そうだ!群馬ナンバーだ!SUEさんから借りたのでした。
また車内も怪しいものばかりなのに運転手も怪しい僕です。

急に車検証、免許証見せてください、どちらまでとはじまりました・・

しかし、質問する警官がなんか違う?そうです話し方が違うんです、方言やなまりが!
免許の照会等をしている間に逆に警官に質問してみました。
お巡りさん九州熊本だねーと。
するとそうですと・・!
警官もびっくり!なまりや方言であててしまったのです。

そこからは飯舘で熊本の話題で盛り上がりました!
馬刺しに、辛子レンコン、熊本城からおいしい鰻店の話まで!
熊本に行た事があったのですしばらく。

その後笑いの中何事もなかったので帰ってきました。

最後に警官に一言言いました。
熊本に行く時があるから会うこともあるかもしれませんね。、その時は違反しても
捕まえないでねー見かけたら話しかけてくださいと。

大笑いでした。
 

 

 

 

光が…

今日社会福祉協議会の協力のもと、東京電力との話し合いに参加しました。
集まった事業者はみな原発による被害のある相双地区施設の代表者です。
遠くは群馬県の高崎からこの説明会に来ていた人もいます。

まず東京電力からお詫び今回の事故による賠償の本請求及び書類の説明がありました。
東京電力側は4人が会議場の前に座り担当者が淡々と説明を開始。
説明の内容は請求における冊子をもとに各法人による書式の違いや経費や売り上げ等の
算出 方法などをとりあえず細かく説明がありました。
おおよそ1時間半位の説明です。

その間各事業者の代表は一言も話すことなく東京電力の説明を聞いていました。
もちろん僕もそうです。
自分たちにとってどうなのか?
どこまで責任や補償を認めてくれるのか?
今後どうなるのか?・・・

その後休憩をはさみ質疑応答になりました。

各質問者が挙手をし東京電力に様々な質問をしました。
全員切実なおもいで東京電力に回答を求めました。もちろん僕もそうです。

全ての人が話すことは元の会社の環境、生活を返して欲しい!・・それが一番の望みです。

今回東京電力ははっきりと言いました。実被害は全て補償をする。本来必要としない経費
出費に関しても全て補償をします。
またこの補償は原発が収束しても現状に戻るまで補償しますと。

本当にどこまでしてくれるのかはわかりません、今はこの言葉を信じるしかないのです。

今まだあーすでは線量が高く、平均すると屋外で1.5μ㏜位あります。室内でも0.6μ㏜位
有ります。以前高い状態が続いています。
もっと早く実被害にかかる補償の話をして欲しかった。

今月30日に非難区域が解除に南相馬がなります。危険な中学校も始まるのでしょう・・
子供達は各学校に戻る事になり、様々な問題がまた起きると思います。

本当は安全なところで再開をしたいと考えていました。移転をずっと考えてもいたし
行政にも要望を出していました。
しかし補償が決まっても、移転できる場所が無いのです・・・
安全な場所も、空き家も空き土地もないのです。

まだまだ先は長いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

Message in a Bottle

今日、スカイプでベルギーの映画監督と打ち合わせをしました。

スカイプって知っていますか?
インターネットを使ってできるテレビ電話で、無料で海外の人ともしゃべれるとっても
便利な道具です!

ベルギーの映画監督アランさんは、ちょうどチェルノブイリのドキュメンタリー映画を
撮り終わったところでした。
その2日後に福島原発事故があり、これはなんとかしないといけないと思い、
福島の子供達の現状をドキュメンタリーで撮ることを決意しました。
そこで我が自然環境応援団に協力・出演依頼が来た訳です。

今回、縁があり、アランさんと知り合えたきっかけは、以前、フランスのラジオ局記者の
取材の時に通訳を務められたKさんがアランさんと知り合って、話をした事にさかのぼります。

アランさんは以前、「木と話す男」の映画を作ったことがあると話しました。
その話を聞いたKさんはすかさず言いました。

「私、その人、知っています。」

その人とは、僕のことだったのです!!
それからKさんとの数回のメールのやりとりの後、アランさんが僕とスカイプで直接話を
したいとのことで、今回のスカイプによる打ち合わせが実現しました。

アランさんをひとことで言うと、ナイスガイ!!
いろいろな話をしましたが、非常に印象に残っている言葉があります。
「今回はできるだけ子供達と過ごす時間を大切にしたい。ジャーナリストとして行くの
ではなくて、ドキュメンタリーを作りに行くんだ。世界の人たちに福島のこんな状況の
中でもたくましく生きる子供達の姿を伝えたい。それはまるで、海に流す瓶の中の手紙
のように・・・。」

国や県、市は何もしてくれない。
決して子供達を守ってはくれない。
だから、本当に子供達を守りたかったら、自分たちが動くしかない。

これはアランさんと全く同意見でした。
あーすが開店休業している理由に関しても共感してくれました。
また、アランさんは自然や森林にとても関心があり、僕の取り組みに対して
大きな理解を示してくれて、今日は意気投合した良い1日になりました。

良いドキュメンタリーが取れるような気がして、とても楽しみです。

今回の映画企画のホームページです。

MESSAGE IN A BOTTLE
http://message.in.a.bottle.over-blog.com/

チャレンジ!

今日久しぶりに体重計に乗ってみた。前々から気にはなっていたが恐ろしくて乗らないでいた。
いっとき76キロくらいまで行ったのだが、様々な事から食べる事でストレスを解消してしまい気づいたら元にもどってしまった。
しかも前回より胴回りの浮き輪が大きくなってしまった!!

ヤバイ・・・

このままでは子供達とも遊べないそして特殊伐採も長生きもできなくなる・・・

元スポーツマンとして今のダルダル身体は許せない!

俺は変わるんだ!変わって見せる!

そして引き締まった身体で子供達と再開できるように頑張ります。

売れない福島県産

福島の食べ物も売れない、木も売れない、花火も売れない、何でもかんでも売れない
ありえない状況が続いている。
本来であれば今からおいしいお米や果物、キノコ等様々なものがある。
しかし田も畑も山も全てが汚染されている。
いったいどうしたらよいのか?まったくわからない・・

今回の愛知県の福島花火不使用騒動等や見ると色々と考えてしまう。
少数意見があたかもしれないが全体の意見かのように取り扱われて、福島県のものは全て「危ない」
とされる。
そのうち、福島県の人までが汚染されてるという風に本当になりそうだ・・
この放射能下にいる僕たちはそんなに危険なの?と思ってしまう。
味覚の秋が近かづきこれから紅葉や様々な良い事が待っているはずなのに、良い事はまだまだ待っていないようです・・・
これ以上の困難や嫌な事はいらないです。

 

新東京見学!!  蒲田編

先日、羽田空港利用の為、朝一番の飛行機に乗るために蒲田駅近くのビジネスホテルに泊まりました。
蒲田駅からは羽田まで直通のバスが出ています。
朝6時の飛行機に乗る為に泊まりました。
蒲田では駅周辺はパチンコ屋が多く、インターネットカフェも目立ちます。
勿論ラーメンや洋食、和食等の店もいっぱいあります。
ちょっと裏に入ると少し寂れた飲み屋街が広がっており、個人的には出歩いて食事をするような雰囲気の街ではありませんでした。
駅ビルの中におにぎり屋さん、ベーグル屋さん、サンドイッチ屋さんがあり、おいしそうでついつい買ってしまい、また、駅ビルの1階は珍しい輸入食材を売っている店があり、調子に乗って外国のお酒を4種類も買ってしまいました。
部屋に帰り、食べ、飲んで、満足をし寝ました。

ところが、朝5時にはバスに乗り、6時の飛行機に乗るはずが、朝6時10分に起きました・・・・・・・・。
なんとか急いで準備をし、タクシーで空港に向かい、次の次の便の飛行機に乗り、約束にはなんとか間に合い、笑われました。

慣れないお酒は飲むものじゃありませんね。

新東京見学!! 番外編 横浜

先日、横浜に行った。

暑さに負けず、中華街から山下公園、そして、みなとみらいの赤レンガ倉庫まで
歩いて行きました。

中華街では、新手のキャッチを発見!
中国人が甘栗を配りながら、買わないかと進めてきます。
中華街を抜ける間に7人位に声をかけられて、誘惑に負けて3個ぐらい買いそうに
なったけど、どうにか耐えて1個も買いませんでした。
中には栗の皮を向いて「うちのはおいしいよ!」と渡してくれる人もいるのですが、
親切すぎて怖くなりました。
今の中華街のバイキングは以前とは違いびっくり!
飲茶食べ放題に入ったのですが、今のバイキングは50~100種類あるメニューの
中から出来立てを選んで食べられるのです。
北京ダック、蒸し餃子、春巻、エビチリ、・・・など、おいしく食べてきました。

そして、中華街を歩いていて見つけたのが、パクリTシャツ屋。
PUMAじゃなくてPAMAになって、ヒョウの頭がパンチパーマになったのやら、
STARBACKSじゃなくてSTARSBACKSになって真ん中の図柄がスターウォーズの
ダースベイダーになったものやら、怪しいのがいっぱい売っていました。
これはアリなの?
そう言えば、北海道でも似たようなのがありました。
PUMAじゃなくてKUMAになって、ヒョウの代わりに熊の柄になったものやら、
UNICLOじゃなくてUNIKUO(ウニ食おう)になったものやら、おかしなTシャツが
たくさん空港のお土産屋で売っていました。
これが売れるんだったら、うちでも作って売ろうかななんて頭をよぎりました。

その後、山下公園に行き、公園の中に素敵なお店を見つけました。
それは「キッズローソン」と言って、普通のローソンとは違って、すべて子供向け仕様です。
中に小さいジャングルジムがあったり、カウンターがあってお茶が飲めたり、脇に遊べる
おもちゃを置いていたり、中に別レジのアイスクリーム屋があったり、雑誌のスペースが
奥にあってしかも成人雑誌が全くない!
これに感動して後日ローソン本部にメールを送りました。「是非、南相馬市でやりたい!」と。
今、子供達を安心して遊ばせながら買い物できる場所があれば、放射能問題で悩んでいる
お母さんたちの助けになるだろうと思ったのですが、ローソンからの返事は
「今のところ他県にキッズローソンを作る予定はありません。今後、本部の中で
参考意見とさせていただきます。」というものでした。

そこからみなとみらいまで歩いていきました。
みなとみらいはよくわからない街です。
日清カップヌードルミュージアムがあったかと思えば、高級ホテルもあり、観覧車もあり、
、でっかいビル群の中の小さな遊園地があり、国際会議場もあり、本当に何でもアリの街です。
今の日本を象徴しているかのような、人を呼ぶためだったら何をやってもいいというような
空気を感じてしまいます。
街並みとして近代的で違和感はないのだけれど、その組み合わせがすごく不思議な感じがしました。

今度はスケルトン観覧車に乗ってみたいな~と思いながら、電車に乗って帰ってきました。

雨なのに・・・

昨日はどうしても気になっていた事があり、雨にもかかわらず宮城県の岩沼までSUEさんと行ってきました。
それは何かと思い出もあり時折会話に出してしまう、ワクワクさんの事です。
岩沼にあらわる情報を得たので2時間かけ5時間以上いました。会うことはできませんでした。
彼は埼玉から縁があり僕の会社の職員になり様々な事がありましたがそれなりにお互いを信じ生活をしてきたつもりでした。
原発問題の後やもえず職員一同を解雇しまたワクワクさんもその後自分の意志で原町を去っていきました。
しかし、彼には会社所有及び僕の個人の大切な物をまだ返してもらっていないのです。
また原町を去る前に会いに来ると思っていました、もちろん物も返しに来ると思っていました。
最後にあったSUEさんが言っていた言葉をずっと信じていました。
ワクワクさんがこう話していました・・・

社長には必ずあっていくつもりもしくは連絡する、子供達の事が心配であーすがどこかで再開するならば自分も働きたいなーと・・また施設の仕事がしたい。

ずっと待っていました。安否の心配もみんなでしていました。しかし連絡はなし・・
インターネット上でやっとの思いで見つけました。連絡をくださいと書き込みをいれました。しかし返事は来ないどころか一時的にインターネット上からも消えました。
何故?どうして?疑問でした。

数週間後またインターネット上で別の名前に変え投稿しているのを見つけました。また書き込みをしました。
返事はありません。
それどころか僕が書いた書き込みをアクシデントと呼びウェブ上の友達にしばらく更新、書き込みができなかった理由にさえしたのです。
悲しいね・・・何故?いつからそんな奴になってしまったのか?
今回の原発事故は物や景色だけでなく人の心も変えてしまったのか・・残念でなりません。

今現在は毎日フィギヤ、プラモなどのオタク話や東電の批判で生き生きと会話を楽しんでいる。その会話の中でたまーに子供達の事や自分は元施設職員だとかとかを話をしている。とりあえず元気ではいるみたいで良かったですが、一言いいます。このブログを見てくれると良いです・・・
ワクワクさん

元気そうで良かったです。必ず連絡をくれると信じていましたが来ませんね、実家でも心配をしてます。いつから僕の弟子をやめたのですか?勝手にやめないでください。また子供達が心配だとか元施設職員として一言などいうなら正式に姿をあらわして欲しい!子供達からワクワクさんはどうしてるの?聞かれる事が何よりも辛い。その気持ちがわかりますか?必要としてくれてる人がいる現実がわかってますか?!子供達を心配するなら現実的に行動をしろ!インターネット上では何も進んでない。現実から逃げるな!あーすは必ず再開するつもりです!原発問題にも負けません!行政や国が支援してくれなくてもどんな形になろうとも俺は子供達の支援はしていきます!今は経済が成り立たなくても必ずその活動は経済になって自分に返ってくる。必要としてくれる人が居る限り前に進む努力を俺はする。この逆境を負けずにより強く大きく我があーすや法人そして自分がなる。
必ず俺はなる!
またみんなで子供達を囲み仕事をし笑える日が来ると思い毎日頑張っています。

新東京見学!!  ディープな街、立石

先日、夜20時半に東京都葛飾区にある立石で待ち合わせて、リトルOさんとオヤジ会を急きょ開催しました。
何を食べるかをオヤジ二人が悩んで悩んで、歩くこと30分。
立石は立ち食いの店が多い。
立ち食いそば。立ち食い寿司。焼き鳥、から揚げ、ホルモンなど・・・・立ち食い・立ち飲みの
店が多いです。
日本版アイリッシュパブといった感じでしょうか、安くて手ごろで怪しい店が線路周辺に立ち並んでいました。
今回は僕が車で帰らなければいけなかった為店選びに難航しました。、この町の店は「酒を飲まない奴は駄目よ」という感じがあり、今回は我慢して捜し歩いた結果、大通りにある韓国料理の店に行きました。
店に行く前の会話で「お互い40代。背油が気になる年だから、今日は軽くしよう。」と話していたものの、店のメニューを見た瞬間、男二人して考えられない行動に・・・・・・。
まず、テグタンクッパ。
続いて、冷麺、アワビがゆ、ホルモンセット、ネギのピリ辛サラダ、チョリソーと次々と注文しては平らげていきました。もちろん、このほかに飲み物をだいぶ飲んでいます。
うまかった~!の後オヤジ二人してお腹をさすり笑ってしまいました。
次の日、お腹が減らなくなり、1日食べずに過ごした事は言うまでもありません。
立石の夜はこうして終わりました

話し合い

先日あーす再開に向けて今後どうしたいのか?具体的な考えはあるのか、
及び今現在あーすの活動はどうなのか?と僕は今の現状をどう考えているのか?
などなどを聞かせてほしいと言われたので市役所に話をしに行ってきた。
市役所には県の職員も来て3者面談という形になった。

まず会話はたわいの無い会話から入るつもりであったが・・・
東電、放射線、補償及び今後の話になったらいきなり全開になってしまいました!

まずはこちらの希望「あーすは場所を変えてでも再開したい!再開の時期は冬休み前を
考えている。11月にはスタートさせたい。」ということを担当者に伝えました。
担当者は「是非やってください」と口では言うものの、具体的な支援は一切なく、
冷たい印象しかありませんでした。
市の職員は小高区出身、県の職員は伊達市の小国地区出身で放射線に対して苦しんでいる
事については理解できるけど、立場の違いから言葉は慎重になっていました。

僕からの要望は「学校基準と同じ年間1mSV以下の所での再開」か「今のあーすを除染
及び敷地内にコンクリートを敷いて放射性物質が溜まらないようにすること」です。
敷地内にU字溝を張り巡らせて、裏山に風が通りやすいように伐採までしたら幾ら
かかるのか事前に工務店に確認をしたところ、約5千万円かかると言われましたので、
それを担当者にぶつけました。
県がその5千万円を立て替えて、それを東電に請求してくれとお願いしました。
現在、県や市が行っている「除染」にかかわる費用は後で東電に請求するそうです。
ということは5千万円の立て替えの話だってやってくれてもよさそうなものです。
理由を聞くと、うちが1事業者だからということなのですが、・・・・・納得が行きません!
1事業者である前に福島県民であるし、南相馬市民であります。
「県や市はそもそも県民や市民を守るのが役目のはずなのに、矛盾していませんか?」と
ぶつけてみました。
これから南相馬市は人がどんどん戻ってくるから、うちのような児童デイ施設は必要だ
というのが担当者の見解で、そのことは何度も繰り返すのだけれど、具体的な話は
ずっと出てこないでこちらから聞けば押し黙ってしまいます。

つい感情的になり、僕は言ってはいけないことを言ってしまいました・・・・・・・。
「うちは県の認定施設でしょう?今まで県の指導により様々な基準を順守し、監査が
あってもそれに対して言われた通りにしてきたはずなのに、立場が代わって自分たちが
言われるようになったら役所をたらいまわしにさせて・・・・。
監査の時には1日として待たないのに、書類だって1日だって遅れるなと言うのに、
自分たちが担当職員をたらいまわしにした事だって一度もありません。」
すると担当者はそれを認めてしまいました。
そして、市も県の担当者も各担当上司に話をして、言われた要望が通るかどうか
掛け合ってみるけれど、要望がすぐに通るとは思わないで欲しい。少なくとも年内は
無理だろうと言われてしまいました。

この場に来るまでは少し抱いていた希望が、完全に見えなくなってしまいました・・・・・。
行政がそんなことを言うと本当に悲しくなります。
どうしたらいいんだろう、僕たちは? そんなせつない気持ちになりました。