Articles from 6月 2011



新しい作物?

今毎日相馬にいます。海からは三キロ位離れているのではと思います。毎日流木を3人組で切、そろえ運び出すという作業をしています。主に元田んぼだったところの片付け作業です。

田や畑の跡地には水がたまり、ごみが散乱しヘドロのにおいが充満するほどです。

しかし生物の生命力は凄いです。詰まった用水や汚れた川にも魚がいっぱい泳いでいます。

そして、田んぼの後地にも無数の穴が・・何かが動き、水が動いています。その穴の数は数え切れないくらいです。

何かは動いてはいます!達磨さんが転んだの要領でパッと振り返って見るとそこには大量のカニが??何故?どうして?こんなところに?

簡単な事です。津波が運んできたのです。カニを瓦礫や砂と一緒に。新しい住処として定着していたのです。もの凄い数のカニまるで育てているようです。

通りすがりのおじさんに聞いてみました、このカニは食べられるのか?おいしいのか?

おじさんは言いました。つまみに揚げて食べると美味しかった!でも放射能で食べれないよって・・震災前は取って食べたのに、食べれたのにって・・

沢山のカニの動きに驚きと楽しさを見付けたと思ったのに最後に今のつらい現実にもどってしまいました。

津波に寄る被害相馬市

相馬市はやはり港があった事から、大きな船がいっぱい散乱しています。松川浦は見る影も無く、海岸線は無残になり海水浴場も全て駄目になりました。岩の子は田んぼの方にまで海水が来ておりバイパスから海を見ると一部大きな湾の様に見えます。地盤沈下をしているそうです。

相馬は相双地域唯一の海産物や夏休みの観光の名所であった所でしたが、元に戻る事が出来るようになるのは本当にいつなのか・・と思います。

子供達が行った潮干狩り、サッカー場、宿泊体験の相馬自然の家はもう使えません。消防で初めて乗り釣りに出た船も置き場もありませんでした。

磯辺の集落も一軒もありません。我が地球屋のお客さんの家もありました、増改築をし、小さな子供もいました。流されてしまいました・・悲しい事です。

今相馬の現場ではアルバムやらが出てくる事がありますが、写真は水で流れ何も分かりません。ヌイグルミや玩具等が壊れて出て来るとそこに住んでいた人達の事を考えてしまいます。

相馬を見ると一番気になるのは今また津波が来たらと、これからしけが来たらもっと水かさが増え今住んでる人達が又災害に会うのではと思いました。

どの地域も津波の被害は恐ろしいほど、その現状を前に何時、何年後にこの残骸はと・・何度、みんなと話しても毎回答えは一緒です。誰もわかんね~なでした。

気になった事・・

今日演奏会会場で、有るお母さんがいました。年の頃は僕(42歳)の母親位かな?と思います。その人は歩く姿も軽快です。耳も遠くありません。非難所では年配な事と衣類もこんな時期だからこそ少し地味なだけです。しかしながら避難生活を始めてから悩んでいて、とても気にしている事があったのです。

それは、みんなが自分の事を年寄り扱いをし、あまりにもいたわってくれる事なのです。震災前は、奥さんや姓で呼ばれていたのに急におばあちゃん、おばあさん、と言われ自分はそんなに老けて見えるのか?年寄りくさいのか?と気になっているとの事でした。みんな震災にあうまでは自宅で花を植え家庭菜園や近所と仲良く付き合い自分の好きな服を着て生活をしていたはずです。

こんなときだからそんな事も出来ずに生活しているのです。思いやりの難しさを感じました。また非難所や被災をした人の気持ちを知りました。女性に限らず男性にも同じような事はあるのだと思いました。僕達も被災している県民として心無い言葉に苦しむ事もあります。

それと同じように同じ地域の中でも思いやりや相手を本当の意味でいたわる事を勉強したような気がしました。

日本フィルありがとう!

昨日は鹿島保険センター、今日は原町第二中学校、原町道の駅、原町第一小学校と避難生活所等を回りすばらしい演奏を聴かせてくれました。

昨日今日と天気は悪く雨。東京から新幹線で福島まで来てくれました。音楽家にとって楽器はとても大切な物です。楽器は木で出来ている為、取り扱いや湿気等には特にデリケートな物です。本来なら車で東京まで行き迎えに行くような事を今回被災地の為にと来てくれました。

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの音色はすばらしく日頃聴くことが中々出来ない音色でした。

保険センターや原町第二中学校では湿気が多く音が思うように出ない中演奏をしてくださいました。道の駅ではホールの中だったので本来の音までは行かないもののすばらしい音色でした。

原町第一小学校ではまさに非難者がダンボールで仕切りをつくり生活をしている場所で、非難者の了解を得て演奏をしてもらいましたが、それまでの避難所とは違い生活感がある中での演奏だったので心なしか同じ曲の演奏でありながらとても寂しい曲に聞こえました。日本フィルの皆さんに南相馬の被災の現状、避難所の現実をしってもらいその中での演奏だっただけに楽器を通じて演奏者の想いが出たのかな・・・と感じました。

本当に移動時間が観客も少なく環境も悪い中本当にありがとうございました。

これからも福島県や被災地の人達にすばらしい音色を聴かせてつかの間の癒しを与えてください。

また南相馬市がいつか自由に出入りが出来、子供達が伸び伸びと生活が出来るようになったあかつきには、これからを担う子供達に音楽のすばらしさ、そして色々な話をする機会を作って夢を与えてください。

またお会いできる事を楽しみにしています。市民を代表してありがとうございました。

日本フィル来る!

今日はあいにくの天気でしたが、被災地支援で日本フィルのメンバー5人アテンド1名演奏者4名が電車に乗り来てくれました。鹿島区保健センターで綺麗な音色で弦楽4重奏団で普段まじかで聞く事の出来ない生演奏を聴かせてもらいました。

明日は原町第二中学校、その後は原町道の駅にて演奏会をする事になっています。楽しみです。

福島県内では会津、二本松、三春に続く4箇所目になるそうです。

メンバーには演奏会の後相馬から原町までの津波による被害地を見て貰い、また原発による被害に関しても説明その当時の街の様子などを説明しました。

みんな現状の悲惨さに声を失い、また放射能による被害の大きさ、他の県や他地域との災害の違いをわかって頂きました。

津波による被害鹿島区

鹿島は6号線小島田地区からみちのく球場、そして屋形地区を現在も一名が残り作業をしています。

小島田地区には真野小学校があり国道6号線も近くに走っています。学校の側には沢山の船が上がり今現時もまだあります。海までは役4キロ有ると思います。

津波の威力をまざまと感じるところです。

鹿島地区では地形的な事なのか津波の被害が隣り合わせの家や田畑でも全然違うところが多々あります。津波の水の動きは予測が出来ませんね。

やはり海の堤防は損傷でまだまだ水が今まで集落だったところまで来ています。鹿島地区にも通れなくなった道が沢山あります。

小高や原町区よりも津波による被害にあった家のイグネの枯れが多いような気がします。枯れが入り赤くなってきている木が多いです。海水が長い時間停滞していたのかも知れません。

津波による被害小高区

災害復旧で、小高、鹿島、相馬に入って作業をしています。今現在は相馬にて作業をしていますが最初に行った時と今現在の状況は違うと思いますが作業内容と見た感じた感想を書きたいと思います。

小高区は海から役1キロくらいの集落の瓦礫の処理運び出しを行いました。自衛隊の小型クローラーダンプが一台僕とペアになり重機で積み込み運び出すという作業でした。放射能の為あの白い服を着てマスクをし現場にて作業をしましたが皆さんご存知の通り放射能値は低く何で?って感じでした。

住宅は基礎のみが残り、ほとんどの家がほぼ全壊状態で集落は全滅でした。ただし全壊住宅の近くでも地形的な関係でちゃんと残っている家もあり川や海の堤防は壊れ用水等もつまり凄いヘドロ様な匂いでした。

田んぼには、1メートル以上ヘドロや汚泥が積もっていて作業をしている重機が何台も泥濘にはまりました。それほど酷い状態でこの田畑は本当にどうするのか?と言う状態です。

自衛隊は本当に一生懸命でした。あの数の手作業勝負が無ければ綺麗にならなかったと思います。その作業中何度も自衛隊のヘリコプターが空中に、監視しているかのような飛行にはもの凄い嫌悪感と怒りが出てきました。一生懸命に泥だらけで風呂にも入れず働いているのにいつも現場で働いている人達を踏みにじるのは上層部。東電も自衛隊も、国の役人も一緒です。

かわいかった豚達は突然殺されました。新聞やニュースには何も出なかったみたいです。犬達も数匹いましたがどうなったか分かりません。

学校の裏庭が瓦礫の仮説置き場になっていました。小高区は立ち入り禁止地区なので家はあっても人がいなく本当にゴーストタウンでした津波や地震による被害無いのない家もいっぱいありその家々を見ると寂しかったです。

暑い!

いよいよ6月も中旬になり梅雨入りのはずが、もう夏ですか?というぐらい気温が高い。何もしなくても汗が出る。こんな中窓は開けて良いのか、布団は外に干して良いのか、洗濯はとか・・様々な疑問や生活における問題が出てきました。

これから梅雨でその後が夏。考えただけで恐ろしいです。節電、放射能、異常発生の様な蝿等今年の夏は本当に分かりません。いったいどうなってしまうのか・・・

夏休みは涼しいところで思いっきり外の風を満喫したいです。

こんな時間に?

今日も日中災害復旧で相馬に行きました。3時半頃大雨になり、途中でグリスや犬の餌を買って帰ってきました。

あーす到着後施設内を見るととても汚い・・またツリークライミングの道具等がゴチャゴチャトその辺に!これはいかんと急遽掃除片付けをしました。片付け」だすと今度は汚れが気になり掃き掃除雑巾がけトイレ掃除などきずいたら9時半は過ぎてしまいました。

本当はまだまだ掃除する気でしたが明日も朝早いので止めました。

つき合わして手伝わしてしまいました。SUEどのお疲れ様でした。明日もがんばろう!

決断できず・・・

毎晩考える事はいつも同じで、これから先我が法人はどうしたら良いのかということです。

あーすは開店休業中、地球屋は山林に入れず災害復旧、16名いた職員は2名のみ・・・悲しいですね。我がスタッフはとても優秀で何でも出来るすばらしい人達でした。何でも出来るまたチャレンジ精神にあふれる人達でした。そんな中あーすは南相馬以外の福島県にて再開した方が良いのか他の県に移動し営業したほうが良いのか悩んでいます。又それは早くしたほうが良いのか保障問題が決まってからが良いのか。職員や利用者もさそった方が良いのか新規に採用募集をかけた方が良いのかなど本当に悩んでしまいます。

原発は収まるそぶりは無く、放射線値も下がる様子も無く相双地域及び福島県を汚染し続けている、これから夏休みを向かえ益々県外に移動する人達は増えていくでしょう。

あーすも地球屋もしばらくは本来の仕事は南相馬では出来ないでしょう、他所で始める事は確かに出来ますただしあーすは一人でも始められます、ただし開設するには資金が必要です。地球屋は開始するのには人手が必要です。

一日でも早く本当にしたい仕事がみんなが出来ればよいと思います。