今度は絶対に・・・

久しぶりに書きます。しばらくずっと考えていたことがありました。心の中に
引っかかっていた事です。
実は以前にも質問されたことがあり、今日また同じ事を聞かれました。      

「今度原発が爆発したらどうしますか?」

僕の答えは、もう逃げない・・

昨年の3月11日大地震を現場で遭遇し、施設の子供達を送迎中に、津波の威力と原発の危険を察知して翌日準備をし、家族や職員友人を連れ埼玉に避難をした。そして情報をいち早く入手し大勢の人に電話をかけ避難するように頼んだ。その後ガソリンも無く、灯油も無く、食料も無く、みんなが苦しんだ・・

その後会社に有った灯油やガソリン、軽油、また食料は全て友人達に渡した。それでも足りず避難先の埼玉県から持ってきた。
そしてまた埼玉に戻った・・・
屋内退避が解除される約一月の間に何度か南相馬に戻ってきたが、全てが遅すぎたと思っている。もし一度も避難せずあの震災後も南相馬に居たのなら、家族を避難させた後すぐに戻ってきたら、もっとみんなの為になる事が出来て、助ける事が出来たのに、と考えてずっと過ごしてきた。避難先から友人や知人と連絡を取り合うたびに胸が痛くなった。
もっと自分ができる事をすれば良かったと、後悔している。
もちろん自惚れかもしれないけど・・
震災前から自然災害やもしもの場合に備え冷静に順備をしてあった、大勢の人達を受け入れるだけの施設もあった、たくさんの人達が入れるお風呂もあった、布団もあった、食料もあった、駐車場もあった、大勢を移動させるバスもあった、トラックも重機も困っていた人達が欲しかった物がみんな有った。
そんな中持ち主の僕は地域にいなかった・・
その結果沢山の人が苦しんだ。
自分ができる事をできなかった、後になってあの時こんな事が・こんな物が
有ればという話を聞くたびに辛くなる。
今はもう南相馬には自分と長男だけ、長男は南相馬に帰ってきた時点で諦めています。一度は親として避難をさせ、身を守ったつもりです。
施設も今は休業し、避難させるべき職員もいない。
世間ではこの一年にもう一度大地震はあると言っている、原発はその際また
大変な事になると思う。でも何事もないように生活をし、危険な中地域に沢山の子供達が戻ってきている。去年のあの震災、原発事故はもう過去のものに
なりつつある、そんな中何かあったら・・考えただけで怖ろしくなる。
今の原発は怖ろしいものでは有るが、僕は怖くはない。
もう、見過ごす事はしたくない。