先週の・・・

先週の日曜日の説明会には6名の保護者がやってきました。久しぶりに子供達や保護者に会えてうれしかった半面、子供たちの様子を見るとうーん?と考えてしまうことでいっぱいでした。今現在のあーすの説明や法人の経営状態の事、今僕が何を考え今後どうするのかを説明しました。保護者と子供達の将来について話し合いました。サークルとして再開する事にしますと。。今後どうなっていくか少しずつブログで書いていきます。

嫌な記憶が・・

今日またかなり大きい地震がきました。防災のサイレンが鳴り津波警報までアナウンスされている。いったいどうなってしまうのか・・
福島に限らず必ず地震の際には過信せず避難をしてください。そしてラジオやニュースを必ず聞いて備えてください。明後日の日曜日に説明会を開くのに・・
また悩みの種が出来てしまいました。

案内状を出しました

いよいよ今度の日曜日にあーす、再開に向けての話し合いするために案内を出してみました。何人参加者がくるか…今現在のあーす放射線は0.25マイクロシーベルト平均です。高いか低いかは正直なんともいえません。表土を剥ぎはしました。しかし近隣の山の枝打ち等はまだまだです。いつになるかは未定です。少しずつ自分達で行いたいと思います。

12月9日、説明会をやります!

今日金沢にていのちの作法を見て来ました。とっても良かった!涙が出た。
震災後ずっと悩んでいました。今後地域の為に自分が何が出来るのかどうしたら良いのかずっとずっと考え悩んで来ました。しかし今日の映画を見て吹っ切れました。あーすの今後について今度の日曜日12月9日午後から説明会します。もうみんなに辛くさみしい思いはさせたくない。自分にしかできない事をします。

久々の更新です

最後にブログを書いてから半年以上たってしまいました。
その間様々な事がの人達から更新をしていないとお叱りの電話等を頂いていましたが
今の南相馬の現状そして林業、福祉の事、今何をどう考えているのか等情報発信をしろ
と言う叱咤激励に応える為そして今の南相馬、会社の復興の為に個人的な事もふまえて
感じた事そして今の現状を書いていきたいと思います。

沢山の方に見て頂いていた様で本当にありがたいです。

多分ね・・・

昨日は4月8日意味のない常磐高速原町、相馬間の開通式でした。この高速道の開通にお金をかけた意味があるのでしょうか?仙台方面北に向かう場合国道
6号線を北上しなければなりません、原町相馬間はわずか20分位でしょう   しかも相馬インターは6号線より離れています。原町から北上する場合、直接旧国道及び国道6号線を走ったほうが早いのです。そんな使いずらい高速を震災後急いで開通させた意味はなぜ?
予算が余っていたから?使い切らないと次年度の予算がつかないから?工事業者の為?僕はずっと違うと考えていました。
国や県は去年の段階から避難区域の見直しを最初から予測決めていたのだと
思います。また高速道路を開通させるつもりでいたんだなって。なぜなら原町から南には今現在行かれないのだから原町インターから先は工事をする必要が無いはず、それなのに工事はしていた。原町相馬間にしても意味の無いものです
4月16日より小高区も解除になり高速道工事が再開するでしょう。
そして富岡まで間違いなくつなげるでしょう。そして経済の為に原発が改善
されていないのに東京まで走れるようになる、地域が要望しているからとか
言ってね。ますます原発に近づき東電は便利になる。工事業者の宿泊地が
高速がつながれば広がるからね。安全も確保できない、保証もしない、収束
も出来ていない、除染も始まってもいない、仮置き場も決まっていないのに
そんなことばっかり進めていいのか・・国にもあきれ返るが県知事にも呆れ
返ってしまう。なんの反省もないね、そこで大きな事故や問題が起きた時どを
するのか考えていないのだろうね・・予想では来年中には全面開通するのではと思っています。想像したくはないですが・・

しばらくぶりに・・・

本日4月7日森林組合より頼まれ、20キロ圏内の小高区にて風倒木による、家屋被害の現場に行ってくれないかとの連絡あり、急遽登録をし禁断のゲートを超えはいってきました。簡単に小高区の説明をしますが南相馬市の南側で
20キロ圏内になり今現在避難区域で立ち入りに許可が必要で4月16日以降立ち入り見直し区域になるところです。
昨年6月に創作活動の一員として入った以外に小高区に来たことが無かったので本当に久しぶりでした。またそこで目にした風景は全く時間が止まっていました・・
海が見える国道6号線沿いには重機や車がつぶれたり流されたりしたままあちこちにあり、田や畑ににも瓦礫がいっぱいでした。中心部や家屋は崩れたまま手つかずで信号もついていない状態です。今現在避難区域なので当たり前ですが・・
しかし聞いてください!考えてください!小高区の中心部を超えた途端空間線量は2.0μシーベルトを超えなんと現場は3.0μシーベルト!庭の雨水のあつまるところは40マイクロシーベルト!現場は原発から直線距離で15キロ、近くの小学校は除染をしたものの0.4μシーベルトでした。数字をみれば除染して下がって良かったねと思うかもしれませんが3日後から段々数字が上がっているそうです。そんな状態のところが避難指示解除区域?なんて中途半端な名称で4月16日から自由に出入りが出来るようになるのです!基本的には出入りは誰でも自由!宿泊や住むことは出来ないしかし出入りに何の制限も無いのです!ありえないでしょう!!小高の隣は浪江町だよ!いよいよ原発が見えるところにちかずいて来て!本当にいいのか!安全なのか?狙いは何なのか?!
簡単だよ、国はこれ以上東電や国の保証の負担を減らすために安全より解除が優先、経済がお金が優先なんだよね・・
役人や東電関係者は小高に自分たちの家族を連れて来てみろ!福島県に南相馬市に引っ越してこい!と言いたい。完全に解除になり、そのうち常磐道も通行できるようになるでしょう。その時どんな事になるか想像したくないです。

今度は絶対に・・・

久しぶりに書きます。しばらくずっと考えていたことがありました。心の中に
引っかかっていた事です。
実は以前にも質問されたことがあり、今日また同じ事を聞かれました。      

「今度原発が爆発したらどうしますか?」

僕の答えは、もう逃げない・・

昨年の3月11日大地震を現場で遭遇し、施設の子供達を送迎中に、津波の威力と原発の危険を察知して翌日準備をし、家族や職員友人を連れ埼玉に避難をした。そして情報をいち早く入手し大勢の人に電話をかけ避難するように頼んだ。その後ガソリンも無く、灯油も無く、食料も無く、みんなが苦しんだ・・

その後会社に有った灯油やガソリン、軽油、また食料は全て友人達に渡した。それでも足りず避難先の埼玉県から持ってきた。
そしてまた埼玉に戻った・・・
屋内退避が解除される約一月の間に何度か南相馬に戻ってきたが、全てが遅すぎたと思っている。もし一度も避難せずあの震災後も南相馬に居たのなら、家族を避難させた後すぐに戻ってきたら、もっとみんなの為になる事が出来て、助ける事が出来たのに、と考えてずっと過ごしてきた。避難先から友人や知人と連絡を取り合うたびに胸が痛くなった。
もっと自分ができる事をすれば良かったと、後悔している。
もちろん自惚れかもしれないけど・・
震災前から自然災害やもしもの場合に備え冷静に順備をしてあった、大勢の人達を受け入れるだけの施設もあった、たくさんの人達が入れるお風呂もあった、布団もあった、食料もあった、駐車場もあった、大勢を移動させるバスもあった、トラックも重機も困っていた人達が欲しかった物がみんな有った。
そんな中持ち主の僕は地域にいなかった・・
その結果沢山の人が苦しんだ。
自分ができる事をできなかった、後になってあの時こんな事が・こんな物が
有ればという話を聞くたびに辛くなる。
今はもう南相馬には自分と長男だけ、長男は南相馬に帰ってきた時点で諦めています。一度は親として避難をさせ、身を守ったつもりです。
施設も今は休業し、避難させるべき職員もいない。
世間ではこの一年にもう一度大地震はあると言っている、原発はその際また
大変な事になると思う。でも何事もないように生活をし、危険な中地域に沢山の子供達が戻ってきている。去年のあの震災、原発事故はもう過去のものに
なりつつある、そんな中何かあったら・・考えただけで怖ろしくなる。
今の原発は怖ろしいものでは有るが、僕は怖くはない。
もう、見過ごす事はしたくない。  

何の罪もないのに

今回の原発事故の一番の被害者は子供たちだといつも思っています。
大人は子供達に本当に謝るべきだと思っています。
大人の都合で原発を作り、経済優先の社会をつくってしまい、その結果子供達の楽しい生活を奪ってしまい本当にごめんなさい。

去年のあの寒い日々に電気も食料も無い不便な状況でも我慢をし学校再開後も給食がなくても、暑くて狭くちゃんとした授業ができなくても、本当に様々な事があったのにもかかわらず毎日笑顔で元気よく過ごしている姿を見るたびに心が痛くなります。
今も学校や友人と離れ離れになり南相馬に帰ってきたい子供たちがが沢山いる。
もちろん我が家でもそうです。
理由を聞かれるたび、帰りたい、戻りたい、友達と同じ学校に行きたいとお願いされるたび
悲しくなります・・
帰ってきてもいいよと本当は言ってあげたい・・
親として本当に悩みかなしいです。
親として最低限できる唯一提供できるたのしい学校生活、その事すらできない・・

国や東電が言うように本当に健康被害がないのか、本当はあるのか本当にわからなくなる。
子供たちに今後もし健康被害があった場合の覚悟は親として持ってはいます。
どんな事があっても責任を持って面倒をみる。
だけど何もあって欲しくないと思うのがすべての親の気持ちだと思う。
国や県、市のトップになる人達そして自分も入れた大人達はもっと考えなければいけないと思う。そして考えてほしい。
一番の被害者は誰なのか・・
未来の日本は誰が作ってくれるのか、この自然や故郷を守り続けてくれるのは子供たち
だと思う。
だからもっと子供たちの健康や命そして未来への夢や希望を与えられる事をしよう。
もっと国は子供たちの為にお金つかってください。お願いします。

頑張ったね!

南相馬市と姉妹都市にになっている杉並区での復興支援及び震災のセレモニーで日フィルの弦楽四重奏とともに3曲歌ってきました。
「君と僕のラララ」「ともだちになるために」「ビリーブ」です。

今回なかなかスケジュールの調整がつかず、また様々な所でのセレモニー参加のため、少人数での参加になりましたが子供たちは本当に素晴らしい歌声を披露してくれました。

参加した子供たちは合唱団や音楽好きでもなく本当に普通の子供たち。

家庭の事情で一度も避難せずにずっと原町で過ごし頑張ってきた兄弟。
一度は避難するも原町に帰ってきた子供。
家庭の事情で兄弟や家族離れ離れになっている子供
小学校の最後を南相馬で過ごす為に原町に帰ってきた子供
でも本当に故郷南相馬原町が大好きな子供たちばかり。

そんな子供たちと、だからこそ上記の三曲を歌いたかった。

子供たちは大好きな友人たちと別れ、自分の家にも住めず、学校にも通えず、あの暑い夏も
マスクをしながら生活をしてきた。何が何だかわからないまま一生懸命こらえ頑張って生活
してきた。でも子供たちは過去を振り返らず常に前を見て生きている。どんなに大変な生活の中
でも笑顔や笑い声がある。そんな子供達と一緒に歌を日フィルの弦楽四重奏をバックに大勢の人達の前で一緒にに歌えた事はなによりうれしかった。
子供たちの歌声は心に響く素晴らしいものだった!

この一年を振り大人に聞くと悲しい事、辛い事、悔しい事の思い出話ばかり・・
今回の杉並震災復興セレモニー参加で僕が子供たちと一番伝えたかった事は僕たち福島に
住む人達はかわいそうな人じゃない!前をみていける強い人!夢や希望をもち感謝の気持ちを忘れないすばらしい心を持った人たちなんだと・・
この先まだまだ地域の復興は時間がかかる子供たちの環境もまだまだ改善されないだろう。
だけど見守り一緒に生きていく大人として精一杯応援したい!
子供たちと一緒に明るい未来を目指していきます!
本当に二日間おつかれさま、そしてありがとう!