南相馬市に欠けていること

南相馬市内を車で走っていると目につく光景がある。

平日昼間から満杯のパチンコ屋の駐車場。
ずっと張り続けられているお店屋さんの求人広告。

南相馬市の2/3ぐらいは30キロ圏内に入ることから、東電からの補償金を
もらっている家庭は多いだろう。

放射能漏れ事故を起こした東電は許せないし、その態度の傲慢さも頭に来ている。
東電には昔の生活に戻してくれと訴えたいし、その日が来るまで、今もこの先も
戦っていくつもりだ。

だけど、最近は別の虚しさを感じてしょうがない。

なんだか、東電からの補償金が入ることをいいことに仕事をしなくなった人が増えた
気がする。
平日昼間からパチンコ屋に行く人が増えた。

補償金は遊ぶためのお金なの?
震災や原発事故のストレスがあることはわかる。
それは僕もだって同じ。
そのお金は新しく生活を立て直すための資金に使わなければいけないのではないか?

だけど、あの3・15の原発事故からだってもう半年が過ぎた。
もう立ち直って、未来を作るために動き出さなくてはいけない時期だろう。

東電の補償金なんていつまで出るのかわからないし、避難準備区域が解除された
ということは、「10月からは補償を打ち切るから自力で生活してくださいね。」
と宣告されたのと同じことだと思う。
東電も金をたくさん持っているわけじゃないし、払いきれない分は国が面倒見るのかも
知れないけれど、国だって金があるわけじゃない。
いつかはもう払えませんという事になるだろう。

それに、ずっと支援を受け続けていたら南相馬市民はそのうち、日本国中を敵に回す
事になると思う。補償金の大半は東電のお金じゃなくて税金なんだから。
「いつまで私たちの税金に甘えて、自分で立ち上がろうとしないのか?」と。

みんながお金などで支援してくれる事は当たり前ではないし、他県から来たボランティア
の人達が僕たちのために色々とやってくれる事は決して当たり前の事ではない。
もしも、僕たちが彼らから受けた恩を返すのであれば、それは一刻も早く自力で立ち上がる
姿をみてもらうことだと思う。

決して「可哀想な市民」を演じ続けることではないはずだ。

子供をだしに使う親もいる。

先日、自分の子供が障害を持っているところに放射能被害を受けて困っていると
テレビや雑誌に出まくっている親を見た。
「私達は『被害者』です。だから助けてください。」という訴えはいつまで
国民の心に響くのだろうか?

本当に僕たちがしなくてはいけない事は、この放射線量下でも生き抜いていくために
お互いに協力し合い、どうにか健康被害を減らすための方法を知恵を絞り合っている
ところを見せる事だと思う。
今は困難な状態かもしれないけれど、それを克服していく努力は必要だと思うし、
そうでなければ周りの人たちや国民は理解してくれないと思う。

「がんばっぺ南相馬」は決して掛け声だけじゃない。

 

 

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