ウサギとカメ

「自分を例えるならウサギとカメどっちのタイプ?」と聞かれることがある。

僕を知っている人はウサギだと思っている人が多いのですが、僕自身はカメだと思っています。
僕は器用だと思われているようですが、本当は不器用です。
人一倍できないと自覚しているから、何とかしようと思うし、努力もする。
特にそれが仕事に関することであれば殊更だ。
人よりやっている時間が長いのだから、それを続けていれば人よりも当然うまくなります。
きちんと努力し上達して誰にも負けないようになっているので、最初からうまかったと思われたり、
ウサギタイプだと思われるのは少し心外です。

僕は自分のオリジナリティを発揮して行われる試験には強いのですが、型に入った方法でやる試験には弱く、
何度も落ちています。
自分はプレッシャーに弱いのかなと思うことさえあります。
試験に一発で受かる人もいます。
僕は試験に落ちても、その後、練習をします。
それは試験に落ちても実践でやれればいいと思っているからです。

試験に一発で受かる人はウサギかも知れません。
頭の良さとセンスがある人が受かるようです。
だけど、試験に受かったから何でもできるわけではありません。
試験に受かった1級建築士よりも良い建物を作れる2級建築士もいますし、
免許を持っていない人にもそういう人はいます。
建築家の安藤忠雄だって大学を出ずに独学で世界的な建築家になった人です。
学歴や資格だけではその人は語れないという良い例だと思います。

僕から見るとみんなウサギに見えます。
なんで努力しないんだろうといつも不思議に思っています。
もっと練習すればずっと高い位置にいけるのに・・・。
僕はスチュワーデス物語じゃないけど、ドジでのろまなカメだから、
誰よりも努力して人よりもうまくなりたいと常に思っています。

震災後に初めてこんなにのんびりとしただけで、今までは一年365日フルに動いて一日のほぼ仕事や本を読み会社や
現場にいました。
仕事に関連する事以外震災前はした事がありません。
最初から何でもできた訳ではありません。

僕は今、チャレンジャーの子供と関わる仕事をしているけど、子供のことを大学で勉強したわけではないし、
何か特殊な資格を持っているわけではありません。
ただ「子供達はかわいい」「この子供達を何とかしたい」「どうすればよくなるか」ということをずーっと考え続けています。
真剣に考え続けていると段々と見えてくることがあります。
それが僕の信念になっていますし、それは「想い」と「努力」の積み重ねでしか得られないものだと僕は考えています。

余談ですが、よく「道具をたくさん持っていますね?」と羨ましがられる事もあるけど、これも勘違いです。
僕は他の物を買わずに道具にお金を使っているのでそう思えるだけです。
中古のものが大多数です。新品でしかいけない物はやも得ず買います。
仕事で必要な物が最優先で個人的な趣味のものは後です。

まぁ仕事が趣味みたいで生きがいですから・・

人の縁

先日大阪に行きました。

なんで?と思うかも知れませんね~。

実は先日、中古の車を買ったのですが、その元オーナーから機会が有れば会いたいですね、と連絡があったので、名古屋での用事と併せて寄ってみる事にしたのです。

こんな話、あまりある事ではないのですが、なんとなく虫の知らせなのか会って見たくなり、予定を組み替えて大阪まで足を伸ばすことにしました。

今乗っている車は少し古いタイプのランドクルーザーで、今後県外で仕事をする事も視野に入れて長距離移動が楽な荷物をたくさん積める車が欲しいと思って探していたところ、偶然ネットオークションで見つけ出したものです。

落札はしてみたものの、双方の事情が噛みあわずに、大幅に遅れました。

本来ならご破算になってもおかしくなかったのですが、時間が過ぎてもお互いの気持ちは変わらず、僕が所有する事となりました。

古い車なので、電気系統が弱いのかパワーウインドウが壊れたりしましたが、必要な時は扉ごと開けるという裏技(?)を使って、不便さを楽しみながら大事に乗っています。

さて、大阪であった前オーナーUさんは奥さんと一緒に初めて会う僕を出迎えてくれました。

Uさんはとても背が大きく優しい顔をしている人でした。

奥様は背の小さくて可愛らしく優しい顔をしていました。

ランドクルーザーを見て、懐かしそうにうれしそうに・・・・

奥さんも同じように、娘の里帰りでも見てるような表情を浮かべていました。

今までどれだけこの車を大事にしてきたのかわかりました。

大事に本当にしていたんだな~としみじみ思ってしまいました。

夜、上田夫妻と一緒に食事をしました。

美味しい食事をごちそうになりました。

ランドクルーザーは、一番儲かっていたときに乗っていた車で、数々乗ってきた車の中で一度も事故を起こさなかったラッキーカーなんだそうです。

どんな商談や様々な現場に行ってきた相棒で、色々な所に旅に使ったパートナーだったのです。

大事に大事に乗ってきたので、一度は手放したものの、もしも僕が要らないと言えば買い戻そうとすら思っていたそうです。

大阪まで戻ってきたこの車を見てお二人が浮かべた表情のなぞがこれで解けました!

その他にも色々な話をしました。

Uさんは、管工事業の会社や貿易商社をやっていること。

昔聴いた声をもう一度聴きたくなって、メジロを捕まえて怒られた話。

僕の子供達に対する想い、教育論。

お互いの家族の話。

お互いの夢の事、仕事のこと、・・・・・。

話してみて、共通点が多いのにびっくりしました。

Uさんはもちろん僕よりも大先輩です。

その大先輩に共通点がある、すごくうれしい事です。

お互いに仕事には「夢」や「物語」が必要であると考えている事とか、人との縁を何よりも大事にしている事とか、道具や物を大事にしている事とか・・・・。

しかも奥さんは元保育士さんです!

さらにUさんは宮崎県の出身なんだそうです。

実は、この車は僕のお金で買ったのではありません。

1月にうちの会社に入ったものの原発事故で山に入れなくなり、余儀なく福島から離れる事になったM君が東電からの仮払金が入ったのを会社のために使ってくれとワザワザ送ってくれたお金で買ったものなのです。

僕にとっても何よりも素敵な車なのです。

彼は1月末にうちの会社に入り、3月11日に被災して翌日には僕の実家である埼玉に他の従業員達と一緒に避難しました。2~3週間一緒に避難生活をした仲ではありますが、その後福島県から離れる選択をしたので、彼との付き合いは正味3ヶ月ほどしかないのです。

そんな彼が、自身も生活は楽ではないはずなのに、「世話になったから」「離れてしまうけど会社が好きだから」と送ってくれたお金でこの車を買うことができました。

彼は今、宮崎県で林業をしているのです!

なんという偶然でしょうか!

1台の車をきっかけにして本当に気の合う人を結び付けてくれた、人の縁や運を感じた1日となりました。

 

一流の仕事

昨日、県の産業振興課にある相談をしに行った。

今、僕には一つの夢がある。

それは、南相馬市をはじめ、浜通りの子供達に一流の音楽家の演奏を聴かせたい
というものです。

放射能汚染によって窮屈な生活を強いられている子供達に音楽という楽しみと
癒しの時間を与えたいという事ももちろんあります。

それ以上に大事なのは「一流」の人達がどんな仕事をするのか、自分の目で見て
聞いて欲しいのです。

以前にも書きましたが、日本フィルハーモニーの演奏会に行った時に、その演奏も
さることながら演奏家の集中力の凄さに感銘を受けました。
一流のする人の仕事から学べる事はたくさんあります。
二流の仕事しか見たことがない人は一流にはなれません。
たとえ仕事内容が違っても一流の仕事には相通じる物があります。

そこで日本フィルハーモニーに南相馬市などに来てもらって年4回の演奏会を開き、
そして子供達を東京の大ホールの本物の演奏にも招待しようという計画を立てて
協力を得るために産業振興課に足を運んだのです。

担当の方に一通りの説明を終えて、返ってきた言葉にびっくりしました。
「子供達に音楽を聞かせることが地域振興にどうつながるの?」

???

子供達の感性や社会性を育てていくことが地域の未来につながっていく事すら
わからないのでしょうか?
事務的な回答しかできず、子供達の事を思いやる気持ちさえも簡単に打ち消してくれる
その姿勢にも腹が立ってきます。

以前、子供達を喜ばせたくて、日本フィルハーモニーを南相馬市に呼ぼうとして
市役所に掛け合った所、「それがどう市にどう役立つのか」「お金がないからできない」
とか後ろ向きの言葉しか返ってきませんでした。

お役人さんには共通して想像力が欠けているのでしょうか?
画一的な仕事に慣れてしまうと、見えるべきものも見えなくなってしまうのか・・・。
恐らく一流の音楽家の演奏にも触れたことがないんだと思います。

担当の方にもっとイメージしやすいように、もう一度計画書を練って出すつもりです。
もしも県の理解を得られずに助成金を得ることができなければ、この計画はとん挫
してしまうのでしょうか?
いえいえ、子供達に一流の音楽家の仕事に触れさせる夢をあきらめるわけにはいきません。

どんな事をしてでも実現させたいと思います。

やめてほしい

原発事故以来南相馬市は様々な事で話題になっている。その中でも自然エネルギー推進事業
や除染活動に関しては特に多くの地域外の人達がたくさんのアイディアや企画をもってくる。
ボランティアや有料など動機は様々だ。

休耕田にソーラーパネル、汚染された畑にもソーラーパネルを設置し家庭の屋根にもパネル
を置き発電、山には風力発電の風車を設置し発電、流木やがれき木材売れなくなった木材
もチップにして火力発電。
南相馬から電力の見直し原発反対見直しをしましょう!なんてしまつ。
おいおいいい加減にしてほしい。

南相馬市を工業地帯に勝手にしないでほしい!

除染活動に関しては様々な知識を持った団体が勝手にバラバラに洗い始め、まき散らし
土壌を汚染し、川に流し海を汚染する。
そのうち汚染土壌の不法投棄も現れるのではと心配でならない。

家や街を除染し洗い流しても森や山に放射性物質が蓄積している限り、空気中や街の
放射線値は下がらない。地域に安心して住むためには森や山の木を伐り、表土を剥ぎ取り
運び出す、そしてまた木を植えるしかない。と真剣に訴える大学教授がいる。

無理でしょう?理屈や机上ではできても・・
幾らかかるのですか?何年かかるのですか?
原発はその間に何もないのですか?
問題がありすぎです。

南相馬市はきれいでのどかないいところです。
山は鳥が鳴き彩がとてもきれいで、海はおいしい魚が釣れ夏は海水浴ができ、
田では美味しいお米ができ、畑では様々な野菜や果物ができる。
その景色が電力や除染の名のもとに代わる事は考えたくもない。

僕はその田園風景が地域が良くて住んできました。今もその気持ちは変わりません。
しかし毎日見てきた素晴らしい景色が破壊されかわる事はどんなに辛い事か・・・

地域を大切に未来に残す事は安全の為に環境を変えてまで住み続ける事ではないと思う。
未来の為にも手つかずの自然を残す事だと思う。
田園風景を残す事だと思う。

今は住めなくてもいつかは住める。
子供達の命の為に故郷を変えてしまわないような決断や考えを市や県、国は考えて欲しい

その事だけをいつも考えています。

安心していいのか?

東電や国は原発事故後様々な嘘や隠し事沢山してきた。そんななか緊急時避難区域が解除に
なり学校や保育所等様々な事業が始まり地域再建に向け動ごきだすということは良い事だと
思う、しかしそれで安心してしまってよいのだろうか?疑問にてならない。
福島原発は微量ながらも現在も放射性物質を出しつづけ、廃炉まで35年かかると今頃に
なって数字をだし、いまだに情報は事後報告。
セシウムマップやら汚染土壌マップたるものまであると言う噂。
そのうち出てくるのではと思っていますが・・
そんななかのんびり安心して生活していていいのだろうか?もっと声を大にして言わなけれ
いけない事があるのではと思う。
最近やっとテレビやニュースでも原発事故は天災でなく人災。操作ミス等が取り上げ
られているが東電だけではなく当時の内閣にも特に総理に問題があったと思うが・・・
代わってしまえば関係ないかの様な今の政治家には何の期待もありません。

信じれるのは自分達だけ!最後は自分しかない!
もっともっと未来の自分や子供達の事を考えよう!

苗場にいったぞ!

先日ツリークライミングの体験依頼により新潟県苗場フジロックの森に行って来ました。

湯沢インターを降り、苗場までの道はとても素晴らしく外国にいるような景色でした!

今回の依頼は新潟の友人が受けたものでしたが、フジロックの森に福島県の人が書いた
メッセージボードが有るという事で僕が行く事になりました。

そこには素晴らしい景色の中にカラフルなボードの道ができていました!
ボードには様々なメッセージが書かれており、福島の人たちの思いを感じ取ることが出来
ました。
また偶然の一枚を発見しました!南相馬の字が書いてあったのです!多くは福島と書いて
あるのに一枚だけ南相馬と!!
地域を思う気持ちを強く感じました。

その後地元苗場の小学生達にツリークライミングを楽しんでもらいました。
帰り足に苗場が誇る素晴らしい景色を見える乗りものに乗りました。

その名もドラゴンドラ!!片道20分の山を越え谷を越え川を越える素晴らしい景色と
スリルを味わえる凄い乗り物でした!!
途中、河川敷のグランドに複数の人影が・・・

たくさんで運動会をしています、夕方なのに?
人では無くサルでした!

苗場にもたくさんいるらしいです。

かんたんに言うな!! <ブラック軍団のこと>

東電は精神的被害を補償しますというけれど、一緒に住みたくて飼った僕のワンちゃんたち。
今は色々な所を駆け回っている僕の生活では連れていけないので、実家にあずかってもらい、
離れ離れの生活を送っています。

1月20日の晩に子犬が4匹生まれました。
送迎から帰ってくると1匹はもう生まれていましたが、ぐったりしていました。
もう冷たくなっていて、温めても間に合わず死産となりました。
その後出てくる子供達はどうにかこの手で1匹1匹取り上げて、3兄妹が誕生しました。
最初に生かすことができなかった子のためにも、どうにかこの3匹は僕が守りたいと
心に誓ったものです。

成長の悪い子には僕がお母さん代わりに哺乳瓶でおっぱいをあげていました。
毎晩一緒に寝ていましたし、ご飯も1回ごとに測ってあげていました。
弱い子からご飯を奪おうとする子供同士のけんかの仲裁もよくしました。

散歩に連れて行くと遠くにいても名前を呼べば、すぐに僕のところに一目散に駆けつけて、
愛らしい姿で転がり回っていました。
僕がボスであることもよくわかっていたようです。

今は埼玉県の実家で、ご飯をあげるのも散歩をするのも親父の役目。
先日久々に実家に戻った時に、ブラック軍団は僕の所に駆け寄ってくるものと思いきや、
真っ先に駆け寄ったのは親父の所・・・・。
正直ショックでした。
今のボスが誰なのか、もう刷り込みが終わっていたようです。

僕が一緒に住みたくて飼ったのに・・・・。

東電の事故さえなければ、今頃は一緒に住んでいたハズ。

他にもペットと会えない生活を送っている人はたくさんいると思う。
20キロ圏内にはまだまだ多くのペットが取り残されているんだとか・・・。
中にはペットの生死すら確かめられていない人もいるだろう。
簡単に犬はペットだと言う人もいるけれど、立派な家族の一員です!
人によってはそれ以上なのです!

この想いは誰にぶつければいいの?
東電さん、キチンと受け止めることが事ができますか?

 

 

 

大切なのは命だよね?

今の国や県の姿勢は全然納得がいきません。
人の命をどう考えているのでしょうか?

ある人はこう言っています。
「今、福島県の子供達に必要なのは教育です。きちんとした教育が受けられない子供達が
かわいそうだ。すぐに学校を再開させて授業をうけさせるべきだ。」

またある人達はこう言っています。
「少しでも、早く南相馬しを再建するためには市民に戻ってきて見らうことが必要だ」

またある人はこうも言っています。
「国は年間20ミリ、避難区域は30㌔だったからそれ以外は大丈夫問題はない」

おいおいおい・・・。
その前にもっと大事なものがあると思います。
僕が子供のころ教わった事は「大切なのは命と健康」です。
それは決してお金では買えないと。

教育は子供の健康が確保されてからの話でしょう。
福島県産の食べ物の安全性を証明するために学校給食に福島県産材を取り入れたり、
学校だけを除染して一番過ごす時間が長い家庭の除染に力を入れていなかったり、
本当に子供達の健康の事を考えているのか疑いたくなります。
南相馬市原町区でも10月から学校が再開になりました。
今はもう安全になったの?原発はもう大丈夫なの?放射線量は下がったんだっけ?
学校再開に反対する声すら聞こえてきません。

数日前に新聞やテレビをにぎわせた、原発再臨界事件!
日本国民全部があわてる様子もなく通常の生活を送り何でもないような反応・・

よく考えてください。今現在原発は終息してないですよ!

僕はこう話しています。原発と名の付く時限爆弾は勝手に動き出す、いつどうなるか
わからない事を国や東電が認めてる!

自分達の事です。よその国じゃないんですよ!

もっとみんな強い意識を持ちましょう!

 

かんたんに言うな!! <子供達のこと>

東電は精神的被害を補償します、とか簡単に言うけれどその一言ではすまして欲しくない!

避難や、屋内退避、生活に関する不便さだけでない本当の精神的被害が子供達には
あるでしょう!
親としての精神的被害をどう考えてるのか!
そこを声を大にして言いたい!

大人は東電に対し意見は言える、でも子供達は親にも言えず東電にも言えず良く理解が
出来ていないまま現実を受け入れ生活をしています。
親として何が一番つらいか!子供達に自分の本当にしたい事をさせてあげれない事は
何よりもつらい!
いまだにどうしたら良いのか悩みます。

僕には3人の子供がいます。長男は高校2年生、二男は中学3年生、長女は小学6年生です。
長男は地元の高校に通い小学校よりサッカーを続け高校でもしています。

二男も地元の中学に通いサッカーをずつとしていましたが今現在の避難先にはサッカー部
は無く仕方無く違う部に短期間のみ入りました。

長女は4才からクラッシクバレエ教室に通いピアノやスイミング、学校では金管部に入り
毎日生活をしていました。

子供達は常に次の目標に向け友人や指導者と共に頑張っていました。

僕達がそうであったかのように子供達も一番の楽しみ生きがいがあったのです。

親は子供達の成長に期待をしその毎日の成果や様子を見るのが楽しみだった!

その事はどこの家庭も必ず一緒だったはず!
長男は避難当時から避難をしない友人たちと連絡を取り合い、南相馬市の情報のやり取りをし、
緊急時避難区域外での学校再開に合わせ避難先の鳴子より帰宅、避難先ではあれほどごねていたのに
今では義妹宅に身を置きながら毎日楽しく生活をしています。

二男は避難先に幼なじみがいたためとりあえず元気に生活はしていますが、サッカーは
できず、中学校最後の大会にも参加することはできず、今後の高校進学に関しても決断
できず半ばあきらめ、行きたくもない学校を受験をたぶんすることになるでしょう・・・

長女は来年中学生、今現在は学校に友人もでき楽しく通っています。しかしスイミングや
バレイ教室は無くレッスンもしない体は固くなり、もちろんリズム感をやしなう為のピアノ
でしたが、今はなにもしていません。通わせることができないし無いのです・・・・

正直な所、どうするのが子供の為になるのか、わかりません。
放射能漏れと放射線量が落ち着くまで不自由な中で我慢させて避難先で数年間過ごさせる
のがいいのか、多少の被曝は覚悟してでも友達とのつながりとか今しかできない事をさせて
ストレスのない生活を送らせてあげた方がいいのか・・・・自問自答を繰り返しています。

東電は「補償します」という言葉を繰り返すだけだけど、解決策を出してくれるわけじゃない。
僕たち親はこの悩みから解消される事はないんだと思う。

 

ここもか・・・

あーすを開店休業にしてもう5カ月。
その間ずっと東電や、行政にはずっと移転話をしてきた。

あーすを再開したい!安全なところにに行きたい・・・
協力をしてくださいと何度もお願いをしてきました。

僕たちは4月当初から国や県の放射線値の基準に異論を唱え移転話や補償問題について
訴えてきました。
県や市は見向きもせず、国は20ミリと言っている大丈夫。避難区域外だから営業して
もいいですよ・・と。

そして5月末に放射線値が一向に下がらず補償や健康問題等にもいっこうに動こうとし
ない行政にに見切りをつけ独自の判断で利用者の受け入れをやめました。
その数日後に国が放射線基準値を大幅に下げ現在の年1ミリと発表。

行政は苦笑いでごまかすだけ・・
移転先を探してください、避難所の仮設住宅でも、学校の中でも・・
ずっとずっとお願いをしてきました。

しかしその声はまったく届きませんでした。

避難者の住宅探しといっしょで空き店舗、住宅等はまったくなし。
仮設住宅による施設移転についても市も県も言い逃れたらいまわし!
議員は役にたたず!
威張って凄んで何もできなくせに大きな顔!
いい加減にしてほしい。

今回探して探してやっと出てきた相馬市の旧市街地の中の物件。
大きさも、広さも家賃等も良かったのです。
しかし・・・

理事の一人と下見及び放射線計測をして絶句してしまいました・・
何故こんなに高いのか?どうして?・・・

室内でも0.3から0・5μ㏜あり空気中においても0.5平均。
駐車場及び生垣、花壇等については0.7から1・3μ㏜あります。

念のため理事が違うメーカーの測定器でも測定をしてくれました。
若干の違いはあるもののさほど変わらず放射線値は低くありません。

悔しさと辛さでいっぱいになりました。

子供達と早く遊びたい、またみんなで楽しく過ごしたい・・・

悩みました、考えました・・・

頭では仕方ないかとも思っています、しかし気持ちが許さないのです。

今まで信じて動き行動をしてきた事が嘘になる。自分のお金や我慢のひきかえには
絶対にしない。この信念についてきてくれる人達がいるのだから!
また必死になって探します。
諦めません!